古い書物からの抜粋
1940年に出版された『明眸逗留日記』
ここに収録されている「飯伊地方の思い出」を書いたのは水無宇季という当時21歳の女性。
宇季は財閥のお嬢様だった。
宇季は避暑のため、叔父の家に滞在した時の出来事が綴られていた。
三日ほど続いた雨が止んだので、宇季は散歩に出かけた。
その時、偶然、水車小屋を見つけた。
しかし、周囲に川や池などの水場がないことを不可思議に感じた。
水車の左側にある小さな格子窓を覗くと、沢山の歯車が見えた。
また、辺りを見わたすと小屋の左手に小さな祠らきしものがあり、その中には石像の女性の神様が祀られていた。
小屋の反対側へ回ってみると、簡素な引き戸が開いていたので覗いてみると、三畳程の板敷の部屋があった。
部屋の中は何もなく、右側の壁に大きな凹みがあるだけだった。
しかし、小屋の大きさに比べ、この部屋はあまりにも狭く、左側には別の部屋があると思われたが、扉らしきものがない。
まるで夢でもみているような不可思議な気分になり、早々に立ち去ろうとした時、
足をぬかるみに取られて体勢を崩した。
咄嗟に水車に手を付いた途端、重みで水車が回りだした。
もしやと思い、小屋の反対側に再び行ってみると、入口の左側に小さな隙間ができていた。
水車を回すことによって内壁が動くからくりだったのだ。
小さな隙間から中を覗いてみると、強烈な臭気と共にメスのシラサギが床に横たわっていた。
宇季は怖くなり、そこから逃げ出した。
その晩、叔父、叔母と夕食を食べた時、あの水車小屋について尋ねようとしたが、奥座敷で赤ちゃんが泣き出し、叔父たちは席を立ってしまった。
赤ちゃんは術後の経過が悪く、左腕の付け根が膿んでいるようだった。
その後、赤ちゃんの入院の世話で二人共忙しくなり、結局、尋ねることはできなかった。
あれから数年経ったが、いまだにあの水車小屋の正体は何だったのか?
片方どちらかの部屋に人を閉じ込め、圧迫させる、昔、読んだ小説に出てきた『処刑部屋』のようにも思える。
では、右側の部屋の壁に作られた凹みは何のために?
迫ってくる壁から逃れるため、あの凹みの中へ身体を丸めて逃げ込むのだろうか?
平伏する先には祠がある。
まるで罪を詫びる罪人のような姿。
あの水車小屋は、罪人に懺悔をさせるための小屋だったのかもしれない。
しかし、もう昔の話で考えたところですべては空想にすぎないのです。