なっきーの雨垂れ石を穿つブログ

アラ還お気楽主婦の日常

回想 他人に怒りを露わにした話

私は他人から見ると、ふんわりとした雰囲気に見られているようで、

「子どもさんを叱ったりしないんじゃない?」

と、度々言われたことがある。

当然、そんなことはなく、叱ったことは幾度もある。

 

しかし、他人に対して面と向かって怒りを露わにしたりは滅多にない。

それでも過去に一度だけ、他人に対して激怒したことがある。

その人は、同じ自治会のMという人だ。

 

Mの子どもと息子は同じ幼稚園に通っていた。

でも、Mの子どもは学年が一つ上で交流は殆どなかった。

そこの幼稚園は町立の小さな幼稚園だったので、徒歩圏内に住む人が子どもを通わせていた。

なので基本、送り迎えは徒歩。

しかし、どうしても無理な時は車が許されたが、必ず駐車場に止めることが規則だった。

しかし、Mは殆ど毎日のように車で送り迎えをしていたようで、しかも、駐車場に止めず門の真ん前に車を止めていた。

なので、幼稚園のお母さんの間では、非常識な人と認定されて、同じ学年のお母さんとも交流はなかったようだった。

 

幼稚園を卒業した後も、自治会が同じだった為、子供会も一緒だった。

子供会の行事は、子どもが低学年のうちは保護者(大抵母親)が一緒に参加するのだが、Mのところは子どもだけ、あるいは父親が参加していた。

なので、子供会の6年間でもMとは殆ど話すらした事がなかった。

 

息子が中学生になり、Mの子どもと同じ中学校だった。

中学校のPTAの役員は、同じクラスから2〜3人選出されるが、地区の委員にあたる人は除外された。

地区の委員は殆どが3年生の保護者がなる。

Mの子どもが3年生の時はMが地区の委員だった。

 

保護者の役割で必ずしなければならない事があった。

立哨(旗持ち)の当番だ。

地区であたっていた場所は、電車の線路が並行した信号のない交差点で、

通勤通学の時間帯は交通量も多く、とても危険な交差点だ。

立哨するにも大変神経を使うし、一歩間違えると事故に巻き込まれる可能性もあるような場所だ。

なので、そこに立つ時は最低2人の当番が割り振られた。

 

息子が中2になった時、年度始めに貰った当番表を見て、

2月の当番の日はMと二人だけだと知った。

すごくイヤな予感がしていた。

そして、その予感は当然のように当たったのだ。

 

Mは当番に来なかった。

私一人だけで当番をした。

 

その日は、滅多に積もらない雪が積もり、足元はぬかるんで最悪な状況だった。

霙まじりの雨も降っていた。

交通量が増える雨の日、自転車通学をする中学生を必死に誘導した30分間だった。

 

当番の日が都合が悪い場合には、必ず誰かと交代してもらうことが原則だ。

それをMはしなかった。

当番に来れなかったことの謝罪もなかった。

 

この件でかなり頭にきていたのだが、この1ヶ月後に決定的な事があった。

3月は委員の引き継ぎの時期で、来年度地区の委員にあたっていた私はMから学校経由の書類等の引き継ぎがあるはずだった。

しかし、待てどもMからの連絡はない。

 

思いあまってこちらからMへ聞いてみた。

すると、書類はまだ来ていないないとのことだった。

しかし、3年生の卒業式は数日後に控えていて、そんなにギリギリで引き継ぎの書類がくるとは考えられなかった。

モヤモヤした気持ちで電話を切ったが、書類がないならしかたなかった。

 

そして、卒業式があった晩、Mから電話があり書類がきたので今から届けに行くとのことだった。

数分後、子どもを連れてMは来た。

 よくよく話を聞くと、子どもが書類を学校に置いたままで、ギリギリになったそうだ。

 

地区の委員であるなら、後任の委員に引き継ぐ書類がこないことにどうしておかしいと思わなかったのか?

子どもに学校から書類を渡されていないか、なぜ聞かないのか?

 

 

私はかなり強い口調で問い詰めた。

怒りで声が震えていたと思う。

 

 

 Mとは今も同じ自治会だが、幸いにも班が違う。

家は近いが、Mの家の前を通ることはない。

ここ数年、私の視界にMの存在がないのでとても平穏である。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。