私は友達は少ない方だと自覚しているけれど、そんな少ない友達のうちで既に二人が未亡人。
一人は大学時代の部活仲間(仮にA)
コロナ渦前は10人程にメンバーで、毎年、同窓会をしていた。
Aのご主人が他界された事を知ったのは喪中はがき。
年末ギリギリで届いた知らせだったので、突然のことだったと。
その年の夏、同窓会に出席したAはいつもの変わらない様子だった。
A自らご主人について少しだけ話をしたが事故ではなく病気で亡くなったようだった。
しかし、彼女自ら事細かく話をしなかったので、それ以上根掘り葉掘り聞くことは憚られた。
もう一人はヅカ友Nさん。
コロナ渦前は観劇を一緒にしたり、私が帰省の際、会ったりした。
同郷で、お互いの息子が同級生でもあるので、ヅカ話だけでなく子育てや介護の話など
お互いの悩みもうちあけている。
時折、グループLINEで宝塚の話題をしていたが、
ご主人が亡くなったのは昨年の冬だと後になってから知った。
私が帰省の際に購入したお菓子を送ったことがあった。
お礼のLINEがあった時、初めてご主人が他界されたことを打ち明けられとても驚いた。
50代なら、まだ親が存命である可能性がある。
高齢の親が子どもに先立たれる辛さは計り知れないけど、
そのやり場のない辛さを嫁に向けらたのではないかとふと考えてしまった。
「どうしてもっと早く気がついてあげられなかったのか?」
こんなことになったのは嫁にも責任があると言わんばかりの心無い発言があったのではと想像してしまう。
私の単なる想像に過ぎればよいけれど、
人は時に残酷な言葉を不用意に発することがある。
言った側は記憶になくても、言われた側はずっとしこりになって残るのだ。
AもNさんも多くを語りがらない。
言葉にできないその想いを慮ることしかできない。
いつか時を経て、浄化できることを願うばかりだ。