はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」
歳のせいで(?)昔の記憶はあやふやになりつつあるので、ここ数年限定で「記憶に残っている、あの日」で綴ろうと思う。
2019年10月23日
フランス西海岸にある世界遺産『モン・サン=ミシェル』を後にして、ツアーバスは337kmをひた走る。
いよいよベルサイユへ行くのだ。
ツアー日程4日目。
サント・シャペル教会
シュノンソー城
初めてのフランス旅の私にとっては、どこもかしこも素晴らしかった。
でも、ベルサイユだけは特別だ。
いつか必ず訪れたいと長年念じていた憧れの地。
数時間後には到着するのだ。
バスの隣席で爆睡する娘。
予定では夕刻には到着するので、少し時間があるはず。
ベルサイユ宮殿の門は閉まっているが、その前までは歩いてみたい。
バスの揺れに任せて少し寝ておこうかと思ったけど、車窓も見ておきたい。
それに興奮してやっぱり寝られない。
そうこうするうちに無事、ベルサイユに着いた。
宿泊するホテルは、『ホテル・ル・ルイ・ベルサイユシャトー』
ホテル前の道から宮殿まで徒歩3分の立地なので目の前だ。
ディナーまでのフリータイムは勿論、宮殿の門まで散歩。
ルイ14世騎馬像がこれほど大きかったとか、
石畳が緩やかな坂になっていることとか、
体感して初めて知った。
やっと来たんだ。
憧れのこの地に。
夢を見ているようなふわふわした不思議な感覚に囚われながら、閉鎖されている王の格子門の前まで来た。
煌びやかな門の細工は、画像で何度も繰り返し見てきた。
でも、目の前にある門は、晩秋の沈みかけている夕陽に照らされて鈍く光っていた。
今、この時にしか見られない風景。
格子の向こうに見える宮殿。
1624年 ルイ13世の狩猟の館として建てられ、太陽王ルイ14世によって増築や改築をされてきた。
歴代の国王や王妃、貴族たちが集った華やかりしブルボン王朝時代の宮殿は、『絶対王政』の象徴であった。
オーストリアからわずか14歳で輿入れしたマリー・アントワネットの目に、この宮殿はどのように映ったのだろう。
そして、その19年後、暴徒と化した民衆によって宮殿を去ることになった時は、どんな想いだったのだろうか。
230年以上前に想いを馳せて、少し涙ぐんだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。